漱石hommage 吾輩はクルマである(完)
カテゴリー
:ショールームダイアリー
スタッフ
:高橋 勇太 / タカハシ ユウタ
[店長]
[2020/12/06]
肌をさした木枯らしを いちいち覚えているであろうか
夕立に濡れるアスファルトの匂いを 覚えているであろうか
天気雨の向こうにかかる虹を 覚えているであろうか
今日も雨は降り風が吹く
花の都の日本橋を行き交う人の顔を いちいち覚えているであろうか
屁喜男ですら ちょっとした別嬪でも二日もすれば忘れている
通り過ぎる顔をいちいち覚えておったら
安らかに夢など見ることもできまい。
忘れることが出来るのは 人間族にとって幸いな能力なのかも知らん。
さて
物事には始まりと終わりがある。
極まっている終わりの為に 始まりが始まることもある。
吾輩の特殊な能力で主人たる屁喜男を見てきたが
心の中では本音と建前の風が行ったり来たりと吹き
見栄と本質の均衡を保とうと相変わらずあたふたとしている。
風に吹かれて為る鈴は どこか哀しい音がする。
吾輩の尊敬する漱石先生の猫の最後はこうだ。
太平の逸民が飲み残した麦酒を舐め
猫の癖に酔っぱらった挙句 水瓶の中に落ちる。
もがいてみても爪が滑って沈むだけで 愈々諦める。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
ありがたや ありがたや。
吾輩もそんな気分を味わってみたくなる。
屁喜男の箆棒のっぺら棒にも飽きてきた。
忘れることが出来るなら 忘れてしまえばよい。
愛しい過去の日々のために。
かけがえのない今日を生きるために。
いつか吹いた風のように
通り雨のように
その向こうの虹のように
忘れてしまえばよい。
今まで吾輩にお付き合いいただき感謝申し上げる。
皆様どうぞ 幸せに 幸せに 幸せに。