漱石hommage 吾輩はクルマである(再)
カテゴリー
:ショールームダイアリー
スタッフ
:高橋 勇太 / タカハシ ユウタ
[店長]
[2020/04/25]
毎夜 大悲壮の「はぁ~」を吐いているかと思えば
この間は突然 「あッ」と呟く。
つくづく雑音の多い男である。
アンニュイに佇む女が 軒先に張った女郎蜘蛛の巣に蝶が捉まった一刹那に
「あッ」と呟くような詩的な「あッ」ではない。
西洋褌に捻り鉢巻きのクールなポコが 餅をつく恰好で言う所謂「やっちまったなぁ~」
の「あッ」であり 本来なら取り返しのつかない痛切な後悔の「あッ」なのだが
取り返しがつかないものは仕様がないと 本人至って呑気である。
実は この「あッ」の原因となる事象は吾輩も共有しており
屁喜男が「あッ」と呟く一刹那に 吾輩は「擦られた」と感じたのである。
現代の道路は平らに敷かれており実に歩き易い。
それにもかかわらず 屁喜男ごときの進路を妨害などするつもりのない
わずか1CMの段差に躓くような男だ。
右側から乗り降りしてた動作を 逆にして左側から乗り降りすればいいだけの事
二年も繰り返しているのに未だ身体に馴染んでいないようである。
冒頭の「あッ」は屁喜男が吾輩に乗った際
靴裏で吾輩のサイドステップを擦った時の「あッ」である。
それを呑気に済まされては吾輩たまったものじゃない。
あと1CM足を高く跨げば良いだけの事
屁喜男に文句の一つでも言ってやりたいが
そうなれば一生文句を言い続けなければならないだろう。
それでは詰まらんし 吾輩は了見の狭い男ではない。
吾等クルマ族と人間の地位関係を言えば
当然 吾等クルマ族の方が上位である。
利便快適を求める人間の為に 同輩は灼熱暴風雨雪に晒されても
相当な体力を使い長距離を走り山坂を走り速く走る。
言い換えれば人間の代わりに走っているのである。
百十余年前の猫の話ではないが
天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先の御っかさんの甥の娘の琴の御師匠さんに飼われる三毛子のように
座敷に上げてくれとは言わん。
南無の通り吾等クルマ族を敬う心だけは持ってもらいたいが
猫の額ほどを跋扈する車屋の黒がいいとこだろう。
それでもこの平たい顔族は 吾輩の故郷伊太利の人間にくらべると
吾等クルマ族を大事に扱っているようである。
メンテナンスやクレンリネスの習慣があることは有難い。
さて 屁喜男の思慮を欠いた「あッ」であるが
気を付ければ無傷で済む箇所などいくらでもある。
屁喜男がヘマをしたサイドステップ。
1CM足を高く上げればよい。
ドアパネルも足元のインナーカバーも靴先に少し気を遣うだけでよい。
インナードアハンドルもアウタードアハンドルも
爪が当たらないよう ほんの少し気を遣うだけで良いのである。
吾等クルマ族と人間の地位関係は 吾等クルマ族の方が上なのだから。